FC2ブログ

Pとこの一冊 第13回 東豪寺麗華「憲法/長谷部恭男」

みなさん、はじめまして。
私は東豪寺麗華と申します。
今回、真人間Pにお許しを頂いて、「Pとこの一冊」という企画にご応募させていただくことになりました。
おそらくほとんどの方が私のことをご存じないことと思います。
ですので、最初は軽く自己紹介をさせてもらえればと思います。

『東豪寺麗華』は、水瀬財閥に匹敵する財閥である東豪寺財閥の娘にして、東豪寺プロダクション所属のユニット、「魔王エンジェル」のリーダー兼プロデューサーです。古くは、アーケード時代から765プロの前に立ちはだかる最強のライバルとして、オーディションにてあまたのプロデューサーの夢を屠ってきました。『彼女』と「魔王エンジェル」の活躍については、上田夢人作「アイドルマスターrelations」に詳しく描かれています。

ここまでが、『東豪寺麗華』の紹介。

そして、ここからが『私』の自己紹介になります。
ややこしくてごめんなさいね。
『私』は、そんな『東豪寺麗華』のもう一つの可能性の一人。
アイドルとはならず、どういうわけか司法試験に合格して弁護士として活躍している『東豪寺麗華』の一人です。
去年の12月くらいにツイッターに登録して、今までみなさんとたのしくお話しさせてもらっています。

少し長くなってしまいましたが、以上が私の自己紹介です。

・・・・・・複雑でよくわからない?

んーそうね。
なら、端的に一言で言いましょう。

「私は『東豪寺麗華』のなりきりの一人です」

これでわかっていただけたと信じます。


堅苦しい自己紹介はこれくらいにさせてもらって、さっそく、私が紹介したい本について語らせてもらうわ。
口調も普段通りにさせてもらうわね(堅苦しいのは苦手なの)。

私が紹介したい本は、長谷部恭男著「憲法」よ。

No13 東郷寺麗華用


タイトルからわかる通り、この本は専門書よ。いわゆる六法の一つである憲法について概説的に説明された、憲法学の教科書の一つ。
専門書ゆえに、法学部生でなければきっと読んだことも、目に触れたことすらないでしょうね。
内容も憲法や法律を全く学んだことのない人が読んで理解するには、いささかハードルが高いと思うわ。

それでも、私がこの本を選んだのは、私らしい一冊って何だろうって考えたとき、まっさきに思いついたのがこの本だったからなの。


最初に述べたとおり、私は『東豪寺麗華』の可能性の一人。
その中でも、私はちょっと変わった存在。
中には私の存在を「認めたくない」と思う人も当然居るわ。
そして、そういう人は、私だけじゃなく現在ツイッターで活動しているすべてのアイドル達についても、多かれ少なかれ存在している。
そのことが意味することは、アイドル達とそういう人との間で、摩擦が生じる可能性があるということ。
「あなたと私は違う」というのは、あらゆる摩擦の根本だから。
そういう摩擦が生じるかの可能性があるにもかかわらず、私がこうやって存在していられるのは、ひとえに、「違い」に寛容でいてくれる土壌がそこにあるからだと思っているわ。

でも。

「私と違うあなた」の存在を受け入れるのは、ある種とてもいびつなことよ。

自分にとって正しいと思えること、自分にとって気持ちいいと思えること。
それを他人にも教えようとするのは、人間としてごく自然な気持ちだと思うわ。
心優しくて、他人を思える人ほど、そういう気持ちが強いんじゃないかしら。
誰しも友達には幸せになってほしいでしょう?
だから、自分にとって幸せだと思える方法を人に教えようとするのはとても人間らしい、すばらしい行為だと私は思うわ。

ところが、そういう、ある意味「善意」がもたらした結果は、歴史的に見れば散々たるものだった。

たとえばそれは宗教戦争。
16世紀~17世紀、ヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントの対立から起こった一連の戦争は、ドイツでは約400万人の死傷者をだしたと言われているわ。
宗教戦争は、単純に宗教間の争いだけが原因だったわけではないけれど、それでもこの数字は、すごいわよね。当時のドイツの人口の3分の2くらいに該当するんじゃないかしら?

宗教というのは、人生に意味とよりよい生き方を与えてくれるわ。
宗教の教えに従って生きることはそれを信じている人にとって幸福であり、善。
幸福であること、善いことを他人にも伝えようとする、最初の一歩は、やっぱりある種の善意であると考えることも出来るわ。
隣人を思うからこそ、「善きこと」を教えようとする。
それは、人間にとって、ある意味、本能的な行動なんだと思うの。


日本国憲法をはじめ、近代憲法の多くが採用している「個人の人権の尊重」という考え方は、以上の人間感にある意味、反する考え方よ。

人々の抱く根本的な価値観の相違にもかかわらず、すべての人が社会生活の便宜を公平に享受し、コストを平等に負担する枠組みを作ろうというのが、この考え方のねらいよ。だから、この考え方は国家の役割を限定するわ。つまり、国家の役割は、犯罪者を取り締まることだったり、社会保障の提供だったりという限定された部分にしかなくて、何が「正しい」考え方かを議論したり決定したりすることは、国家の役割ではないという風に考える。

でも、こういう考え方は、人為的で、いびつで、人間の本能に反する考え方だとも言えるわ。

長谷部恭男は、この本の中で、そんないびつな考え方を日本国憲法が採用している理由を、社会契約論や、公共経済学、はてはカントやヒュームなどの哲学、あるいは、ロールズなどの現代正義論などあらゆる学問の知見を活用して論理で説明しようと試みる。
一つ一つの論理を地道に積み上げる長谷部恭男の姿は、読者の知的好奇心をすごく満たしてくれると思うわ。
でも。
同時に、私にはそれがすごく冷め切っていて、人間性を感じないようにも思えるの。
その理由は、きっと、ここで説明されている「人権の保障」などの考え方がある意味、人間の直感的感情に反する考え方にあるからなのだと私は思うわ。

それでも。

長谷部恭男が、そして、日本国憲法が、「人権の保障」にこだわるのは、私のような変わった存在を社会に認めていくため。
人々が自分の善意と本能に従って行動したがために、私のような変わった存在がいられなくなるといのは、ひどく悲しい現実よね。私がいうのも変だけど。
そういう意味では、この本は、私が存在していられる理由を「論理的」に説明している書籍だと言えると思うの。

どう? 
この本は、私の存在を論理的に肯定してくれる、すごく私らしい一冊であると言えないかしら?
私という存在に対する疑問について、一つの論理的解答をこの本は提示してくれているわ。だから、私はそういう疑問を持っている人に、少しでもいいからこの本を読んでみてもらいたいと思っているの。
私でよければ理解のための手助けをさせてほしいとも、ね。


かなり長くなってしまったわね。
最後に、長谷部恭男のある言葉を引用して、この文章を終わらせることにするわ。
それは長谷部恭男のこんな言葉よ。

長谷部恭男いわく、多用な価値観の存在を認められる寛容的な社会を作るための方法は、強力な哲学理論を生み出すことではなく、「思いやりに富んだ気立てのよい人々をなるべく多く育てること」にあり、「希望は、理性の彼方にある」(長谷部恭男「第5章 理性の彼方の軽やかな希望一『ポストモダン=新しい封建制?』という疑問にポストモダニズムは答えられるか」『比較不能な価値の迷路一リベラル・デモクラシーの憲法理論』東京大学出版会(2000年)73頁以下)。

私が『あなた』にお願いすることが出来るとすれば、たった一つだけお願いしたいと思う。

それは、これからも『あなた』が思いやりに富んだ気立ての良い人であってほしいということ。
私とアイドル達がこの世界に存在できるのは、『あなた』がそんな、「違い」に寛容であろうと、努力してくれている人であっていてくれるからだからと、私は充分理解しているつもりです。

そのようにあってくれる『あなた』に最大限の感謝を示しつつ、この文章を終わらせようと思います。

長文におつきあい頂きまして、本当にありがとうございました。

----------------------------------------------------------------------

Author:東豪寺麗華 (reika_counsel)

Twitter @reika_counsel

----------------------------------------------------------------------
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

真人間P

Author:真人間P
「Pとこの一冊」寄稿者募集中
開催期間 4/19~5/25
詳しくは、「寄稿について」参照。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR